私が突然会社を辞めてカナダに行った話

ブログを立ち上げてまだ間もない段階ですので、まず私自身どのような人間なのかということを簡単にご紹介してみたいと思います。
まだほとんど読者の方はいらっしゃらないとは思いますが、そのうちポツポツいらっしゃった時のために。

タイトルには「カナダに行った話」とありますが、実際にはそれまでの人生をまるっと振り返った半生記となっています。

前職までの経歴

名前・年齢

北川知彰。周りからは「マーク」と呼ばれていたりします。
昭和54年9月18日生まれ。(この記事を書いている時点で37歳です)

学生時代

中学理科教師の父と専業主婦の母との間に生まれた僕は、神戸市内のニュータウンで中学・高校・大学生活を送りました。特別裕福な家庭というわけではありませんでしたが、父が公務員という安定した仕事を続けてくれていたお陰で何ひとつ不自由ない生活をすることができていました。

ニュータウンだったので周りには比較的裕福な家が多いこともあり、中学は市内でもトップレベルの学力でした。中学時代はそこそこ勉強は頑張っていて成績も「上の中」ぐらいをキープしていましたが、高校に入学してからは、元々漫画や絵を描くのが好きだったこともあって「芸大に行きたい」と思うようになり、学業よりもデッサンやポスターカラーのイメージ画の練習に力を入れるようになりました。

高校卒業後は神戸の芸術大学に入学。デザインの学科でしたが、グラフィックデザインやエディトリアルデザインなどの平面デザインの他にも、3DCGや立体造形、映像制作など様々なゼミがありました。僕はその中で映像制作のゼミに入り、卒業まで実写の撮影や編集の勉強をし、映像作品(ショートフィルムや映画的なもの)の制作に明け暮れました。今思えば実験的で独りよがりな作品が多かったのですが、この頃は本当に自由に自分の作りたいものを追求することが出来ていたと思います。

WEBデザイナーとして働いた20代

大学卒業後は、就職超氷河期ということもあってなかなか簡単には就職先が見つかりませんでした。
デザインや映像業界にありがちな超ブラック企業なら離職率も高いでしょうから入り込めたかも知れませんが、マイペースすぎる性格なのでそういった会社は最初から敬遠してしまいました。

結局良い就職先が見つからず、卒業から一年経ってCG系の専門学校に一年通うことにしました。当時勢いもあって人気の専門学校だったので、「ここで技術をつければ何とかなるはず」という考えがあったのだと思います。
ところが実際にCGをやってみると、自分にまったく適性がないことが判明しました。
最初の課題で作ったCGアニメーション作品が講師によって皆の前でボロボロに酷評され、小さなプライドではありましたがズタズタにされてしまいました。それをきっかけに一気にやる気も削がれ、結果的にあまり学校に行かなくなってしまいました。

その頃、3DCGの代わりに興味を持ち始めたのがWEBデザインでした。
当時はFlash全盛期で、インタラクティブなWEBサイト(『HABBO』など)も出てきたりもして、WEBがとても革新的で未来ある技術のような雰囲気を持っていた頃でした。2004年頃のことです。私はFlashムービーの作成やAction Script、MacromediaのDirectorの言語であるLINGOなどを独自に勉強し始めました。残念ながら専門学校はフェードアウトしてしまいました。今思えば非常にもったいないことをしてしまったと思います。

その後、派遣会社を通じてFlashコンテンツを作成するWEBデザイン会社に就職したのですが、毎日のように続く終電までの残業と、休日でも容赦なく呼び出しの電話をかけてくる厳しい上司に音を上げ、わずか2ヶ月ほどで退職。そこからフリーターとして2年ほどふらふらすることとなります。

27歳の頃、ようやく地元のWEBデザイン制作会社に正社員として入社することができました。正社員として雇用されたのはこれが初めてでした。

その会社は通常の会社やお店に向けたWEB制作が表の顔だったのですが、裏の顔として、風俗店に向けた予約管理システムの開発も行っておりました。というのも実はその会社の社長が、地元で有名な風俗街の、ソープランドの経営者だったのです。
社長はソープランドを3店舗経営しており、そこでの月収が400万ほどあったそうなのですが、(恐らく税金対策として)私財でWEB制作会社を立ち上げ、自身の経営するソープランドのWEBサイト更新やASP予約システムの開発などを行っておりました。そのASP予約システムを他の風俗店に売り込んでさらに一儲けしようという算段だったのですが、私が在籍している約2年の間は思うように契約を取れておりませんでした。その後、社長のパワハラめいた発言などが引き金となって私は会社を退職したのですが、それからその会社がどうなったのかは分かりません(一応表の顔の会社WEBサイトと裏の顔の会社WEBサイトは、約8年ほど過ぎた今でもまだ残っています。ただし何も更新はされていないようです。)。

次に入社した会社も一応WEB制作会社ではあったのですが、あまり良い会社とは言えませんでした。
会社やお店にWEBサイトを作るだけではなく、そのサイトを「管理するソフト」を一緒に販売するというスタイルで恒常的な利益を出そうというビジネスモデルの会社だったのです。通常、中小企業や小さなお店の簡単なWEBサイトの制作なら20万円~30万円ほどが相場なのですが、その会社は「管理ソフトをリース契約し、必要なら少しの更新はしますよ」という内容で月額5万円の24ヶ月契約(つまり総額120万円)を結ぶといったやり口だったのです。結局、契約があまり取れずに資金繰りもすぐ悪化し、入社後わずか9ヶ月ほどで倒産してしまいました。

バナー収入で30代の幕開け

会社が倒産し、また無職となってしまった私ですが、幸運なことに以前何気なく作成してみて半ば放置していた画像掲示板のアクセスが爆発的に増加していき、PVがおよそ300~400万PV/月にまで伸びてきました。
「この画像掲示板に広告を出したい」という業者からの問い合わせが定期的にあり、1バナー30,000円/月ぐらいの設置料を提示してもどんどん契約を結んでくれました。
その結果、最大で1ヶ月に24万円ほどの広告料が入ってきました。この状態がおよそ1年ほど続きました。
会社を辞めてから表向きは「フリーランス」と名乗っており、時々友人づてにWEBサイトの制作の仕事を貰ったりする程度で正直本業はあまり儲かってはいなかったのですが、メインで広告収入があったことは本当にラッキーだったと思います。

まぁこのフィーバー状態も1年ほどしか続かず、次第に収入は下降状態となり、その後掲示板からの広告収入はゼロに近い状態にはなったのですが、「WEBを使って稼げるんだ」という実感を最初に持てたのがこの時期でした。

人生最大のまともな会社へ

画像掲示板の広告収入も減ってきて「いよいよ何とか安定した収入を得なければいけないな」と思っていた時、たまたま前職の先輩から「今働いている会社でデザイナーを募集しているんですけど、受けてみませんか」とのオファーをいただきました。渡りに船だということで面接に行ってみると、面接担当の部長に何か気に入ってもらえたようで、すんなりと入社することが出来ました。

その会社は化粧品や健康食品などを開発し、テレビショッピングなどで販売しているメーカーでした。私の入ったWEB事業部はなかなか利益を出すことができない赤字の事業部だったのですが、社長の「これからはテレビショッピングも斜陽を迎える。ネットショッピングこそが活路となる」という考えがあり、なるべく早くに黒字化できるよう頑張っているところでした。
私はそこでネットショップの運営担当となり、自社開発の商品や他社からの帳合品の販売に明け暮れる日々を送ることとなったのです。

メインの業務はそういったネットショップ運営だったのですが、時々テレビショッピングの撮影のお手伝いに駆り出されることもあり、非常に大変ではありましたが良い経験が出来たなと今では思っています。

退職、そしてカナダへ留学

しかし私自身、ネットショップの運営は手探りの暗中模索でした。私だけではありません。WEB事業部の誰もが、デザイン経験はあるもののネットショップ運営のノウハウを持たない人間だったので、なかなか売上を伸ばすことが出来ずに苦労していました。リスティング広告、SNSを使った集客、コンテンツマーケティングなど、様々なことを勉強して取り入れてみようとしましたが、なにせ赤字の事業部ですので予算をもらえるまでにとても時間がかかってしまったり、あまり小回りのきいた運営が出来ないという状態でした。

そういった状況が続き、会社のメインの事業であるテレビショッピングの収益が少し落ちてきたなどの要因もあり、社内の雰囲気はだんだんと良くない状態になってきてしまいました。上からのプレッシャー、複数の上司の間での板挟みなど、頭が痛くなる状況が幾つか重なって、私はついに退職することを決めました。そしてまだ有給休暇の消化中ではありましたが、私はカナダへ飛び立ちました。

語学留学とイラストレーターへの道の模索

会社を辞めてカナダへ行った理由は2つありました。1つ目は、昔からなんとなく憧れていたイラストレーターという職業を目指すため、作品を描き貯めたい、そのために色々な世界を見てみたいということ。2つ目は、これも以前から勉強してみたかった英語を本格的に学びたいということでした。私はカナダのアルバータ州にある州立大学の、語学習得プログラムを4ヶ月間受けることにしました。大学にプログラム参加の申し込みをし、同時にホームステイの申し込みもしました。結果、大学のあるエドモントンという街の郊外にあるホストファミリーが私を迎えてくれることになりました。

私の滞在していたエドモントンという街は、70万人都市としては世界最北の位置にあり、冬はマイナス30~40度にまで気温が下がります。11月に渡加し、がっつり冬のカナダを体験しましたが、その年はたまたま120年に一度の暖冬だったようで、マイナス10度前後の日が多かったです。これは通常の年に比べると10度ほど温かいらしいです。「マイナス10度前後でももの凄く寒かっただろう」と思われると思いますが、死ぬほど寒いだろうという予想の元、防寒の装備をある程度しっかり準備していたので、寒さに耐えることはそれほど難しくはありませんでした。

カナダ生活で得たことはたくさんありますが、やはり多文化社会の中で色んな人と出会ったことが一番勉強になりました。英語も最初は本当に「全然言葉が出てこない…!こんなに喋れないとは思ってもみなかった」という感じでしたが、徐々に耳も慣れてきて、だんだんとコミュニケーションが取れるようになってきました。

その後日本に帰国し、現在はデザイン系の仕事をSOHOで行いながら、フリーランスとして社会貢献をしつつ自立ができるよう試行錯誤中です。

まとめ

以上、自分の半生を振り返ってみましたが、清々しいほどの社会不適合者ですね~。
いや、良いんですよ。確かに会社(特に前職)を辞めずに10年続けていれば、中小企業ではありましたがそれなりの年収とそれなりの役職は得られていたかも知れません。

ただ、今の世の中ホントにどうなってしまうか分かりません。会社員を続けていたからといって一生安泰かという時代ではないのです。確かに「好きなことで生きていく」に感銘を受けて仕事を辞めたものの、結果が出ずに痛い目に遭う人もいるでしょう。しかし人生何事も挑戦しないとリターンは得られないのも事実だと思います。特に今後の日本はフツーに会社員やってフツーに定年まで張っても幸せになれない世の中になってくる可能性も大いにあります。老後にお金で苦労する人も増えてくるでしょう。

今の時期に「自分で稼ぐ」力をつけられれば、定年後だって何とか自力でやっていけるかも知れません。それに、受け売りではありますが「今の世の中が狂っているのに、何も適合する必要はない」じゃありませんか。

一度きりの人生、色んな寄り道をして、色んな経験をして、死ぬまで一発逆転を狙っていくのも悪くないと私は思いますよ。

はみ出し者に愛をこめて。

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